ハンターハンターという作品は現実世界がモデルになっているというのは考察ファンの皆さんであれば知っている事だと思います。
そんな中でジンとゴンの人物像が対比されていて、その対象が宮崎駿監督と尾田栄一郎さんが当てはまるのではないのかという予想をしてみました。
確定している有名所は幻影旅団のノブナガがダウンタウンの松本人志さんですよね。
今回のジンとゴンの人物像の考察は1シーンのセリフを当てはめての考察なのでキャラ全体のモデルというわけではなく、いうなればレオリオが会長選挙編でいきなり演説をして、その内容が冨樫義博先生が東日本大震災に対して込めた想いで、さらにダブルミーニングとして北朝鮮の拉致問題への想いが込められていたと考えれる描写やセリフの例と似ています。
ハンターハンターの主人公がゴン(子供)がジン(父親)を探すという設定や、作品全体には自由を奪われた人が自由を取り戻すといった深いテーマが描かれているという視点を持っていなければ考察の意図も理解できないかと思います。
私はジンとゴンを宮崎駿監督と尾田栄一郎さんに例えましたが実際は別の人物かもしれません。
ではどのセリフやシーンがどう繋がっていくかを予想を踏まえて検証していきます。
ジンが宮崎駿となる部分
まずは主人公ゴンの父親であるジン(ジン=フリークス)の人物像ですが、少し破天荒な所はあるように思えますよね。そういえば宮崎駿監督っていろいろなインタビュー記事や関係者の記事を読んでいると似たようなところがあるかもと、この文章を書きながら少し思いました。
そしてジンというキャラが冨樫義博先生の憧れをペルソナにしているという感想を持っている人をネットで見かけた事があって、私も同じような感想を持っています。
私が明確にそう感じたのはサトツのセリフです。
第287期ハンター試験にゴンが合格した後に、サトツがジンについて語っている内容です。
サトツが語るジン
サトツ自身が遺跡の発掘と修復・保護をしている遺跡ハンターですが、同じ遺跡ハンターのジンを尊敬しているわけです。
ここで冨樫義博先生は遺跡ハンターを漫画家に例えたわけです。
HUNTER×HUNTERのコミック4巻「No.035 光と闇①」でのセリフです。
「大事なのはハンターになってから何をなしたのか」と言っています。
ここが「大事なのは漫画家になってから何をなしたのか」と置き換えれるわけです。
サトツが冨樫義博先生で、憧れの対象(実在のクリエイター)がジンという設定です。
以前は名誉を求め発掘のみに心血をそそいでいましたが、あるハンターの仕事を見てそんな自分が恥ずかしくなりましてね。
私財を使って完璧な修繕を行い将来的な遺跡の保護を考慮に入れた上で一般の人々も観ることができるように環境整備が施されていました。
私は遺跡の美しさよりも、その作業工程を想い打ちのめされました。
現在ではそのハンターが行った仕事が遺跡管理のマニュアルとして世界的に取り入れられているほどです。
お金だけを求めて漫画を描いていましてね・・・。とサトツに自分語りをさせているわけです。
慈善事業では飯は食えないので、お金を求めるのは必然ですし必要な事なのですが、それだけを求めて執着すらしていたのかもしれません。
私はここでジンが宮崎駿監督に例えられていると感じました。
冨樫義博先生はジブリ映画をリスペクトしているようで、ハンターハンターの作品内にもいろいろオマージュしていますし、宮崎駿監督はたくさんのクリエイターが尊敬しているわけです。
私財を使って完璧な修繕とかは現実世界での社会貢献的な何かを例えているのかなと感じるわけです。
そしてジブリスタジオの信念も関係しているのではないのかと考察しました。
「一本の映画で世界を変えうると信じる作り手たちの映画」がジブリスタジオでは製作されていました。
ハンターハンターがジブリ映画を元にしている元ネタはまとめて記事にしています。
ハンターハンターは宮崎駿監督の作品にかなり影響を受けているので、遺跡ハンターのサトツ(冨樫義博先生)が先輩で同じ遺跡ハンターであるジンを宮崎駿監督をモデルにして例えていたのではないのかと予想し考察したわけです。
ゴンの父親としてとか、ジンがハンターになった目的とかはまた別の話です。
ゴンが尾田栄一郎となる部分
では次にゴン(ゴン=フリークス)が世界一の漫画となったワンピースの作者の尾田栄一郎さんに例えられていると予想したシーンを解説していきます。
冨樫義博先生と尾田栄一郎さんには目に見えない所で運命の糸が繋がっているんですね。
タイプは少し違うかもしれませんが同じ覚醒者同士です。
キメラアント編において北朝鮮がモデルとなっている東ゴルトー共和国の王宮に突入する際に、シュートがゴンの後ろ姿を見て心の中で絶叫する心理描写がありました。
このシーンが冨樫義博先生が漫画家やクリエイターの誰かを人物像にして、語りかけていると私は考察しました。
ジンとゴンでうまく対比されているという事です。
シュートが語るゴン
では実際にシュートの心理描写を借りて冨樫義博先生がゴンの人物像に語りかけている内容を考察していきます。
該当する心理描写はHUNTER×HUNTERのコミック25巻「No.266 万が一」で描かれています。
北朝鮮がモデルとなっている、東ゴルトー共和国の宮殿への突入する際の描写です。
本来ならば俺の役目・・・!!
ゴン・・・!!
号泣し絶叫したい程の感動!!!
ゴン!!!
できるなら世界中の人に叫びたい!!
あれがゴンだ!!
オレより一回り以上年下の・・・オレの恩人だ!!
危険や好機と全力で向き合うことを恐れ逃げて、安全な檻の中で自分の言葉すら隠し、何者からも傷つけられまいとしていた。
そんな自分がいやだった。
でも直せなかった。
仲間、師の言葉ですら強い者の理屈と本当には聞いていなかった。・・・けど!!なのに!!
オレより一回り以上弱かったお前がオレの檻を壊してくれた!!
生きてお前に言う!!ありがとうと!!!
「本来ならば俺の役目」というのは先輩漫画家としての立場や知名度、残された寿命を考えて懸けるべき命などを考えると「一本の映画で世界を変えうると信じる作り手たちの映画」という信念を受け継ぎ行動すべきは冨樫義博先生だと言っているように聞こえるわけです。
実年齢としてはシュートとゴンの年齢差が明確に現実世界の人物像には当てはまらないと思います。
冨樫義博先生は自身の作品「幽遊白書」で黒の章のビデオテープを出して、現実に世界で起きている事と近いような描写はされていましたが、やはりそれだけでは本当に言いたい事が言えてなかったのかと私は予想します。
そして命を懸けてマサドルディーゴ(金正日)を登場させたのでしょう。
奪われた同胞を取り戻す事を誓い、北朝鮮の拉致問題を解決するための力になるためにハンターハンターという作品にスピリチュアルメッセージを込めたのです。
「危険や好機と全力で向き合うことを恐れ逃げて、安全な檻の中で自分の言葉すら隠し、何者からも傷つけられまいとしていた。」とは年下の漫画家やクリエイターの人物像がいると私は考察しました。(もしかすると漫画家やクリエイターではない人物像かもしれません)
そしてこの人物像がワンピースの作者である尾田栄一郎さんではないのかと考えたのです。
理由はいくつかありますが、ジャンプの漫画家という繋がり以外にもハンターハンターとワンピースは似ている部分があるんですね。
そして2人の漫画の先生が宮崎駿監督をリスペクトしているという事です。
ハンターハンターとワンピースに共通する事として、両作品とも「自由」を求めて勝ち取るというテーマが根本にあります。
そして両作品とも現実世界がベースとなっている作品なのです。
ハンターハンターは現実世界の地域や地名、登場人物を元ネタのモデルにしているので非常にわかりやすいのですが、実はワンピースも同じなんですね。
私はこの事に気付くのに非常に時間がかかりましたが同じくワンピースも現実世界をモデルにしている作品だったのです。
だからこそ私はDの意思の謎を解き、ラフテルに到達できたのかもしれません。笑。
このあたりは私一人の考察でたどり着いたわけではないですが、やはり同じ覚醒者のような人がほぼ正解の答えを出していたので、アンサートーカーの力を使って私もより正確に謎を解き、ラフテルに到達できました。現実世界の話をすると、おそらく我々は今現在ラフテルにいるという解釈なんですね。
後は冨樫義博先生も尾田栄一郎さんも自分の想いをキャラのセリフにします。
アンチ的な人の言い方でいうと中二病全快です。
ただ私はそれができる人達を心の底から尊敬します。
漫画家(元?)といえば「パラダイス文書」に名前が出てくる人もいるわけです。
それが悪というわけではないですし人の生き方はそれぞれ自由ですが、既得権益に溺れそっち系の人間にならずに生きる生き方を選んでいる人を私は尊敬します。
考え方を変えれば、租税回避で浮いたお金を全て事前事業や社会貢献に当てるという方法もあります。
ゴミのような隠れた悪人がする事は、2面性理論をベースに考えてみると、実は応用すれば良い事に使えると私は考えます。
結局日本の国民の血税は腐敗政治家や汚染官僚を経由してかすめとられ、大部分はODAとして日本をおとしめる国であったり、世界を支配する闇の権力に流れるわけですからね。
まとめ
ハンターハンターの主人公であるゴンと、その父親のジンがそれぞれシーンにおいて冨樫義博先生が尊敬するクリエイターや漫画家に例えられて対比されているという考察をしてみました。
ハンターハンターではあちこちに冨樫義博先生のセリフが漫画のキャラを通して語られています。
ゴンとジンは親子ですので年の差を特徴に対比された可能性があります。
対比の内容はあっているかと思いますが、人物像に関してはもしかするとほかのクリエイターや漫画家の先生がいる可能性はあります。
業界に詳しい方であれば候補を挙げて想像してみるのも楽しいのではないでしょうか。
宮崎駿監督が覚醒者なのかは不明ですが、その影響を受けたクリエイターや漫画家には覚醒者が多くいるのは間違いありません。
何かのきっかけで日本の覚醒は一気に進むと私は考えています。
もちろん北朝鮮の拉致問題を解決するIプランとIプロジェクトも日本の覚醒が必要となるので、しっかりと進めていきます。
少し漫画の作品の枠を超えた深い考察なので、私の予想が合ってる合ってないは別としてこの視点について理解できる人はかなり限られてくると思います。
だからこそ日本の覚醒が必要なのですが、結果を求めてがんばっていきます。